三英傑

ひとりごと

私の地元、愛知県では三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)を前面に出して観光の目玉にしていることがある。名古屋祭りなどである。しかし、三英傑は皆、勢力を拡大すると地元(尾張国、三河国)を飛び出し、他の国に城を構え住んでいた。織田信長は安土桃山城(近江国)、豊臣秀吉は大阪城(摂津国)、徳川家康は江戸城(武蔵国)である。なぜ地元で城を構えずに外の国に城を構えるのか。地理的には愛知は日本の真ん中あたりなので特に不便ではないと思うのだが、何か理由があるのだろうか。

三英傑を前面に押し出すということは優秀な人は地元に残らず外国で活躍してくださいというメッセージなのだろうか。私はその様に捉えています。優秀な人は小さくまとまらずに世界を見ましょうと。

三英傑が拠点を外国に移した目的は

確かに現在の日本では、優秀な人は海外へ出て活躍している人が多いと聞きます。私のイメージでは日本は和(調和)を重んじる、海外は競争社会というイメージがあります。競争によって技であったり、知識が磨かれるのでしょう。日本では自国の中で新しく生まれようとする文化、技術は潰しにかかる(出る杭は打たれる)特性があるが、海外の文化、技術を寛容に受け入れる様に思います。三英傑は外を変えてから内側を変えようと考えていたのではないかと最近は考える様になってきました。

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